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江ノ電鎌倉駅前
JR鎌倉駅と共通の改札口にもなっています。
前日まで続いた寒さも和らぎ、穏かな天気になり絶好
のハイキング日和。ただ花粉が多く飛びそうな気配で、
花粉症の私はマスクで防備しての参加です。
この駅前には写真の手前のように、集合には都合の
よい広場があります。
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巽神社 |

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801年(延暦20年)、蝦夷征伐に向かう途中の
坂上田村麻呂が葛原ヶ岡に勧請したのが起こりと
いわれています。
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八坂大神(相馬天王) |
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千葉常胤の次男、相馬次郎師常が屋敷内に守護神と
して勧請したそうです。ここの神輿は鉄製で荒ぶることが
多かったので、師常の墓の近くに埋めて新たに
調達したといわれています。
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寿福寺山門 |
寿福寺参道の石畳 |
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正治2(1200)年、頼朝没後1年に、妻政子が栄西禅師
を招き創建し亀谷山金剛寿福寺と称しました。
この地は頼朝の父義朝の邸跡であり、当初ここに
幕府を開こうとしたが、 岡崎義実 という武士が
既に義朝を弔う堂を建てており、場所も狭かったので
大倉に幕府を開くことにしたと云われています。
寿福寺本堂

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参道の石畳は桂敷で美しく、ビャクシンの古木や
大佛次郎 、 高浜虚子の墓 などがある。門前には
源実朝をしのぶ碑 が建っています。
裏山墓地に 北条政子 、 源実朝の墓 と
伝えられるやぐらがあります。
源氏山に抜けられる「近道」もあります。
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英勝寺 |
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英勝寺は太田道灌 の屋敷跡
徳川家康の側室、お勝の方(道灌の子孫・水戸藩、
徳川頼房の養母、英勝院)が 1636(寛永13)年に開創。
初代庵主に頼房の娘 玉峰清因尼を迎えて以来、
代々 水戸家の息女が住職を務めたので
水戸家の尼寺、水戸御殿として有名です。
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此ノ地ハ武略文藻兼ネ備ヘ 忝クモ 武蔵野は
萱原の野と聞きしかど かかる言葉の花もあるかな
テフ叡感ニサエ預リタル道灌太田持資ガ
江戸築城前ノ邸址ナリ 寛永十一年今ノ英勝寺ト
為ル其ノ創立者水戸藩祖頼房ノ准母英勝院ハ
道灌ノ嫡流太田康資ノ女ナルヨリ晩年将軍家光
ヨリ特ニ此ノ地ヲ授リテ之ニ住スルニ至レルナリ
孤鞍雨ヲ衝イテ茅茨ヲ叩ク少女為ニ遣ル花一枝
ノ詩趣アル逸話ハ道灌ガ壮年猶此ニ在リシ日ニ
於テ演ゼラレシ所ノモノナリ
大正十年三月建之
鎌倉町青年會
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ここは梅の名所でもあります。
白い塀沿いにずっと梅が植わっています。
2月は写真を撮る人で賑わいます。
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JR横須賀線。
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横須賀線沿いに、しばらく歩きます。
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道路の分岐には、案内板があるので助かります。
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化粧坂(かわいざか)
仮粧坂とも書ます。
平家の大将の首を化粧して首実検したからという説、
この辺に娼家があったからという説、険しい坂が
変じたという説、坂の上が商取引が盛んで「気和飛坂」、
木が多いので「木生え坂」などが名の由来とされています。
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この切通しは鎌倉防御の要であり、元弘3(1333)年
の新田義貞軍は主力を投入した。応永23(1416)年
の上杉禅秀の乱でも主戦場となりました。
このすぐ上が源氏山公園です。
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源氏山公園 |
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化粧坂を登り切ると、源氏山に出ます。この公園は、
1965年に山の地形を利用して造られました。
中央には芝生が広がり、ベンチ、遊歩道も整備され、
休日にはカップルや家族連れがくつろぐ憩いの
場となっています。
また、この公園は鎌倉山と並ぶ花見のメッカで、
4月上旬にはたくさんの桜が咲き乱れます。
秋の紅葉も見応え十分。四季折々の
美しさを楽しむことができます。 |

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源頼朝像
園内には高さ2メートルもの源頼朝の坐像があり、
扇ガ谷、佐助ガ谷一帯を静かに見つめています。
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源氏山から北鎌倉・天園方面
9・5ヘクタールの、緑豊かな自然に囲まれた
美しい公園で近くには葛原岡神社や
銭洗弁天・佐助稲荷等があり、観光スポットでもあります。
四季を通じて沢山の人々に愛され続けています。 |
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葛原岡神社参道 |
葛原岡神社 |
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源氏山公園の一部、葛原ガ岡自然公園の一角にあり。
鳥居をくぐり、参道を進んでいくと林の中に簡素な
社が見えてきます。
周囲はソメイヨシノの木々に囲まれ、源氏山公園から
続く桜の名所としても知られています。
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葛原岡神社は、後醍醐天皇の側近・日野俊基
を祀る神社です。
明治天皇が日野俊基に従三位を贈り、
1887年(明治20年)に創建されました。
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日野俊基墓
日野俊基は荒廃した鎌倉幕府を倒すため、
後醍醐天皇を中心としたクーデターを計画しますが、
事前に計画が漏れ、ここ葛原岡で切られることになりました。
現在では由比ガ浜地区の鎮守として人々の
信仰を集めています。
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魔去ル石
陶器製の小さい皿が置いてあります(有料)
これを中央の岩石にぶつけて、
割れればご利益があるとか.. |
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銭洗弁天入口の坂道 |
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銭洗弁天入口 |
銭洗弁天本殿 |
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岩にぽっかりとあいた暗い洞窟のようなところをいくと、
突如鳥居のトンネルが出現。そこが銭洗弁天です。 |
祭神は水の神とされ、体は蛇で頭は人の形をしている
宇賀福神です。御神体を祀る洞窟の水でお金を洗って
使うと、ふえるとの伝説が早くからあり、
今でも巳の日には多くの人々が参詣して
にぎわいをみせています。
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銭洗弁天

この洞窟の中に銭洗いがあります。
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ザルは無料で貸し出してます。
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洞窟の中で銭を洗います。
観光客の目当てはもちろん「銭洗い」のようです。
小銭を洗う人が多いようですが、
中には万札を洗っている人も見かけますよ。
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佐助稲荷神社 |
佐助稲荷神社は、銭洗弁天と共に源頼朝の夢枕伝説に
由来します。どちらも御祭神は宇賀福神。
「銭洗弁天」は繁昌の守護神であり、
「佐助稲荷」は出世稲荷として知られています。
小さな社殿前の赤い柵には頼朝の出世と幸運に
あやかった開運祈願の絵馬のほか、
伊豆の地での頼朝と政子の恋にあやかった
恋愛成就の絵馬がずらりとならんでいます。
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佐助稲荷神社参道の階段 |
佐助稲荷神社下社 |
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大仏ハイキングコ−ス |
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道路のマンホ−ルやクイには源氏の家紋の笹リンドウが刻印してあるものを多く見かけます。
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高徳院・大仏 |
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大仏の正しい名前は、高徳院阿弥陀如来座像。
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鎌倉幕府の第3代執権・北条泰時の時代に、ある僧が、
日本各地をまわって寄付を集めて、1238年から
大仏と大仏殿をつくりはじめ、これに泰時が協力して
建立したとされています。大仏の開眼式は、
5年後の1243年におこなわれました。
最初の大仏は木造でしたが、暴風雨でこわれたあとに、
1252年に銅でつくり直されました。大仏は、
もとは大仏殿のなかにありましたが、
台風で大仏殿がこわれ、さらに1495年の
大津波で大仏殿が流され、今のような屋外の
大仏になりました。 |
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奉納された大きなワラジ |
ここにも台湾リスが多いです。 |
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