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すべての塁上でアウト
大リーグ史上ただ一人1試合ですべての塁上でアウトになるというユニークな記録保持者がいますマリナーズ、デビルレイズの
元監督で現カブス監督のピネラです。ピネラは足が遅い選手でした。ロイヤルズ時代に記録した内訳は
第一打席が左翼フェンス直撃の当たりを外野手がはじいたのでホームを欲張ってアウト。
第二打席は二ゴロで一塁アウト。
第三打席目が右翼深い当たりで二塁アウト。
第四打席目は右翼線長打コースだが、足がもつれ三塁でタッチアウトされ、
観客から拍手喝采だったらしいです。
開幕戦の後、1日空けるのは?
開幕戦の後、1日空けるのは住居探しのため。キャンプ、オープン戦と続いてすぐ開幕を迎えるが、本拠地まで自分で手配し自分で住居を確保しなければならない。そのための生活環境を調整するために、開幕戦後1日空けてある、または開幕戦を1日ずらしてある。
もう一度開幕日前後をチェックしてみて下さい。
監督が私服で!
監督がユニホームを着ているのは野球だけです。野球規則では、選手はユニホームを着ること、と定めてあるのですが、監督は着なくてもいいのです。創世期の選手・監督兼任時代の習慣が今に続いているのです。これを実践した監督は50年間アスレチックスを指揮したコニー・マックです。スーツにネクタイ姿だったらしいです。それと1950年にはドジャースのバート・ショットン監督がやはり私服で指揮をしました。監督がピッチャ−の交代を告げる時、スーツ姿に革靴で出てきたらおもしろいでしょうね。想像しただけで笑ってしまいそう。
「ザ.キャッチ」
1954年 ワールドシリーズ 第1戦 2−2の同点の8回表にインディアンズの主砲ワ−ツの大きなセンターフライをジャイアンツの
ウイリー.メイズが背面キャッチでピンチを救った。この美技が「ザ.キャッチ」と言われています。本当の美技はその体勢から身体をひねって送球しランナーをホームインさせなかったことです。このシリ−ズは4連勝でジャイアンツが征した。ウイリー.メイズは60年代最高の野手、明るく優雅な選手でした。またバリー.ボンズの名付け親でもある。
ブラックソックス事件
1919年、ワールドチャンピオン確実と見られたホワイトソックスの主力選手らが、処遇に対する不満からシンシナティ・レッズとの
ワールドシリーズで八百長を働いたとして後に裁判沙汰となり、ジョー・ジャクソン外野手ら8選手が球界から永久追放された一連の騒動のこと。
「国際化」の職場
2008年の開幕25人ロースターおよび故障者リスト入りの計855人のうち、28・0%に相当する239人が米国以外の出身だと発表された。そのうち、日本人選手は4番目に多い16人だった。
メジャーにおける外国出身選手の割合は、2005年の29・2%が最高記録。昨季の2007年は29・0%で、今季も下降傾向。
なお米国を除いて出身国・地域別に見ると、最も多くメジャーリーガーを輩出しているのはドミニカ共和国で88人。以下、ベネズエラ(52人)、プエルトリコ(29人)、日本(16人)カナダ(14人)、メキシコ(11人)、キューバ(8人)などが主な国で、その他ではオーストラリア、韓国、台湾、パナマ、オランダなども含まれている。

 また、チーム別ではメッツが15人で最多。以下、マリナーズが14人、ヤンキース、カブスとインディアンス、タイガースが11人となっている。ちなみに最大の「多国籍軍」はマリナーズで、米国、日本、オーストラリア、カナダ、キューバ、ドミニカ共和国、韓国、プエルトリコ、ベネズエラの9カ国・地域の選手たちがチームを構成している。

主な選手の出身地
*ドミニカ選手
 ゲレ−ロ(LAA)、ラミレス(BOS)、オルティス(BOS)、プホルズ(STL)など
*ベネズエラ選手
 サンタナ(NYM)
*プエリトリコ選手
 ポサダ(NYY)、ベルトラン(NYM)、イバン・ロドリゲス(DET)など。
真珠湾攻撃で中止?
シカゴ.カブスのリグレーフィ−ルドは1988年まで照明がなかった。野球は太陽の下でやるものとオーナーの思想を貫抜いていたためです。1941年に一度計画があったが日本が真珠湾を攻撃したため、着工前の機材を政府に寄付して計画が中止されたという逸話が残っています
えっ、一塁への盗塁!
1908年、タイガースのジャマニ−・シェーファー二塁から逆走して一塁への盗塁に成功した。走者二、三塁だったが、ダブルスチールがしやすい一、三塁にするためだったらしい。イチローがこれをやったらどうだろう。まあ、イチロ−は絶対にやらないだろうし、考えも付かないのではないでしょうか?史上2度目の一盗が観たい気もします。
縁起担ぎ
* 守備につくときは、ファウルラインを踏むな。
* 連続安打中はストッキングを履き替えるな。
* 野手は守備に向かうときべースに触れるな。
* ノーヒットで抑えている投手にはそれを教えるな。
* バットを交錯させて置くな。こうすると次打者はヒットが打てなくなる。
* ベンチには黒猫を入れるな。
大リーグは伝統のスポーツ、昔からの習慣が大切にされます。野球の縁起担ぎは、洋の東西を問いません。
「ニューヨーク.ニューヨーク」
ヤンキ−スタジアムでの試合終了時に必ずこの曲を流します。それがフランク.シナトラの曲で「ニューヨーク.ニューヨーク」です
一度だけ、トリプルヘッダーがありました。
ダブルヘッダーはよく実施されているが、なんとトリプルヘッダーが行われたのが1回だけあります(20世紀)。
レッズ対パイレーツで第1試合は正午開始でレッズが13-4で勝利(2時間03分)、第2試合はレッズが7-3で連勝(1時間56分)、
第3試合は6回日没コールド、6-0でパイレーツが勝った。ちなみに入場料は1試合分だったそうです。 
一人で1イニンク゛3安打
1イニンク゛で3本もヒットを打った選手がいます。1953年6月18日、レッドソックスのジーン・ステファンスがタイガース戦で記録しています。
ザ.ストリーク  
カ−ル.リプケンjrが1982年5月〜1998年9月までの2632試合連続出場というとてつもない記録をザ.ストリ−クと呼ばれている。この17シ−ズンで一度もDL(故障者リスト)入りしていない。この間メジャー全体で述べ5045人がDL入りしている。
いかにリプケンが鉄人であったかがわかります。
規定打席数が不足でも首位打者に  
特別ルールが存在する。安打数を不足数+打数で割った数が2位を上回った場合は首位打者になれるというルールだ。このルールの適用で首位打者になったのが1996年にトニー.グウィンがいる。
国の代表に永久欠番  
マーク.マグワイア41番がアメリカナショナルチームの永久欠番になっています。彼は野球の名門.南カルフォルニア大在学中に代表としてロスアンゼルス五輪に出場し活躍、国の代表としてはたった一つの永久欠番になってます。
クレメンスの子供は皆 K  
元ヤンキースのロジャー.クレメンスは奪三振には人一倍こだわりを持っています。4人の子供をもうけたが全員の頭文字が野球スコアで三振を表すから始まります。ちなみに名前は上からコビー、コリー、ケイシー、コディーだそうです。
ドクタ−K  
元祖ドクタ−Kはドワイト.グッデン。メッツ時代1985年、二十歳の若さで投手3冠王に輝く。ニューヨークでは今でも人気絶大です。
「Kボード」登場の功労者でもある。ちなみに「Kボード」でKKKKは空振り三振、裏返しKは見逃し三振です。
バンビーノの呪い
1919年のシーズン後、ベーブ・ルースを宿敵ヤンキースにトレードで放出したレッドソックスが、その後1度もワールドシリーズで優勝しなかったことから、バンビーノ(赤ん坊=ベーブ)の呪いがかかったと囁かれるようになったのが始まり。2004年レッドソックスは、
念願だったこの呪いから解き放されました。
面白い日米野球用語
ナイターは和製英語でなく、もう使われなくなった英語と書きましたが、ランニングホームランはメジャーでは「インサイド.パーク.ホームラン」といいます。振り逃げは「セーフ.アット.ファースト.ベース.オン.サード.ストライク.ワイルド.ヒッチ(またはパス.ボール)」とやたら長くなります。この二つは日本で使っている言葉の方が上手く表現しているように思いますがどうでしょう。
試合前練習はしない?
メジャーでは時差が3時間もあり、移動が大変ですが前日がナイトゲームで翌日がデーゲームの場合、デーゲームの試合前の練習は省くことが多いようです。40分ぐらい前にグランドに出てきてストレッチとフィールディングだけやるケースが多いようですよ。
公式記録員は投手の球数は数えない
メジャーの公式記録員は一球一球のボール、ストライクをスコアブックに記入していない。球数が試合終了後場内放送されるが、
これはホーム球団の職員がホームプレートに真後ろで球数を勘定している。メジャーリーグでは投球数など長い間気にもされなかったようです。1970年代後半から先発投手が中3日から中4日で投げるようになってから球団職員がレレレとメモするようになったそうです。その結果100球メドという風潮が生まれた模様。
真夏のオープン戦
ニューヨーク州のクーパーズタウンでは、野球殿堂入り式典の翌日に恒例の“奉納試合”が行われます。2002年はロッキーズとホワイトソックスの試合が行われました。公式戦にはカウントされない、いわばオープン戦。日本ではちょっと考えられないことですね。

米国野球殿堂のあるニューヨーク州クーパーズタウンでの記念試合が、今季2008年を最後になくなることになった。
レギュラーシーズンの合間に行われる記念試合は1940年から続いており、今年は6月16日にカブスとパドレスが対戦する。
殿堂に隣接するダブルデー・フィールドで開催される。
トミー.ジョン手術
1974年当時LAのトミー.ジョン投手が左ヒジ靭帯の怪我の手術でフランク.ジョーブ博士はジョンの腱を前腕からヒジに移植し成功した。当時プロスポーツ選手には一度も実施された事のないものだった。手術後18ヶ月のリハビリ後ジョンは14シーズンをメジャーで投げ、46才で引退した。通算勝利は288勝でこの内164勝は手術後に挙げた勝ち星だった。今では現役のメジャ−選手の75人はこの手術で救われている。主な選手はガーニエ、M.リベラ、ケリー.ウッド、ビリー.コッチ、イズリングハウゼンなど。
日本のプロ野球選手も多数、お世話になっています。
リグレー.フィールドの「特別席」
外野フェンスに沿った建物の屋上は「特別席」がある。そのビルのオーナーが持つ「会員制観戦クラブ」の席であるが、飲食物はヤマとありすべて自由らしいが、会費は高いらしい。個人だと年会費が250ドル、当日65ドル支払う。ゲストは100ドル、チップは20ドルとなっている。借景でガツガツしないで観るのもまたいいかも知れませんね。尚、現在カブス側がビルのオーナーを訴えて裁判になっています。(2004.1.12和解成立。)
和解は11棟のビルのオーナーが収益の17%を球団に支払うことで成立。私設席の総数は1700席に上り、カブスは年間200万ドル(約2億1400万円)を得ると試算されている。
メジャーリーグは閉幕日が決まっている。
閉幕日は決まっている。それまでに雨などで中止となった試合が、3地区どこかの優勝、又はワイルドカード争いに絡んでいれば、
閉幕日以降もやらざるを得ないが、何も関係なければ打ち切られる。プレーオフ優先で進められます。
(2008年は日本時間で9月29日です)
20連戦まではOK
現在はメジャーリーグ経営側と選手会との協定で、20連戦までは文句なく認められている。時差が4つもあるので、移動が大変であるが、淡々と進められているのは感心するばかりである。ちなみに2003年9月のヤンキースは3日〜24日までWヘッダーを入れて23連戦をやっています。
「ナイター」は和製英語か?
日本では「ナイター」が和製英語だと思われている方が多いようですが。アメリカでも昔は「ナイター」と言っていたらしいです。
つまり今は使われなくなってしまった死語。今でも夕方4時ごろから行われるゲームのことを「トワイ・ナイター」と言っている例もある。
ちなみにシュート、ドロップも昔は使っていたがこれも死語になってしまった模様。
なぜハーラーと呼ぶのか?
投手の勝ち星争いでハーラートップに立ったとよく耳にするが、アイルランドの国技ともいうべき「ハーリング」からきている。
このハーリングでスティックの先にボールを乗せ、大きく腕を振って遠くに飛ばす動作が野球の投手によ く似ている。
選手全体をハーラーと呼ぶがアメリカでは投手の意味となった模様。
過去のストライキ&ロックアウト
2002年はぎりぎりの所でスト回避になったが、過去には次ぎのストライキが実施されています。
1972年ストライキ(14日間) 86試合中止 年金
1973年ロックアウト(12日間キャンプ中) 年棒調停
1976年ロックアウト(17日間キャンプ中) FA
1980年ストライキ(8日間キャンプ中) FA補償
1981年ストライキ(50日間)712試合中止 FA補償
1985年ストライキ(2日間)試合中止なし 年棒調停
1990年ロックアウト(32日間キャンプ中) 調停、サラリーキャップ
1994-95年ストライキ(232日間)938試合 サラリーキャップ、利益配分
マスコットが“野球殿堂入り”
フィラデルフィア・フィリーズのマスコットとして愛されてきたフィリー・ファナティックが、2002年に野球殿堂入りしました。
メジャーのマスコットが殿堂で飾られるのは今回で3体目。25年前に登場したが、登場した年のオフに日米野球で来日しています。
私のサイトにその時の画像があります。
ミニッツ.メイド.ボールパークの「タルの丘」
センターのフィールド内の一番奥が丘のように高くなっている、しかもそこには他のフィールドと同じように、芝生が貼ってあり傾斜が30度ある。これはアストロ.ド−ム建設の際に尽力したタル.スミス球団社長の名を取って「タルの丘」と命名された。センタ−はメジャ−で一番深い132.6mもある。ちなみにアストロズの選手が本塁打を放つと、レフト上部を蒸気機関車が走り回るのも面白い。
フェンウェイ.パークの赤い座席
ボストン.レッドソックスのフェンウェイパークは緑を基調とし、座席も緑色に塗られている。しかし第42セクション37列21番の席の背は赤く塗られている。これは最後の4割打者テッド・ウィリアムスが1946年6月9日に放った502フィート(約153m)の超特大ホームランの着弾点を記念して、外野席でただ一つ赤く塗られています。
フラッグ.ディール
トレード形態のひとつで、プレーオフ進出の望みがあるチ−ムが、終盤戦の追い込みを目的に、ペナントをあきらめたチームの主力選手を獲得すること。トレード期限の7/31前に活発になる。たいていはシーズン後FAとなるか、年棒調停で大幅アップが予想される選手がタ−ゲットになる。交換相手はマイナ−の若手有望株2−3選手が相場。過去の例として97年マグワイアがカージナルスへ、2000年にシリングがDバックスへ移籍したのが典型的な例です。
ファイヤー.セール
トレード形態のひとつで、財政状態の苦しいチームが有力選手を売り飛ばすもの。多くの弱小球団は年棒総額を抑えるためには、売り飛ばすしか方法がないのも実情。しかし前向きな要素はほとんどないが、若手にチャンスが与えられ、そこから再建が始まることはある。過去の例、1920年代のベーブルースがBOSからヤンキースに。97年のマーリンズが世界一の翌年に主力選手をほとんど放出。2003年のレッズ、パイレーツもファイヤー.セールを敢行。
審判来なけりゃ、かき集めて開始
正規の審判が飛行機の遅れなどで、時間通り球場に来ないときは地元のアマチュア審判やマイナーの審判、元メジャーリーグ審判
などをかき集めて試合開始します。また審判の用具が届かなかった場合は地元球団の帽子やジャンパーを借りて試合開始します。
日本では考えられない事ですが、メジャーではよくあることです。
永久欠番の生みの親はゲ−リック
大リーグで永久欠番が現れたのは1939年7月4日ヤンキースタジアムでルー.ゲーリックが引退セレモニーを行いました。この引退セレモニーの際に彼の背番号4が永久欠番になりました。メジャーで第一号です。ちなみにベーブ.ルースの3はそれ以後のことです。ゲーリックは筋萎縮性側索硬化症という難病患って引退を余儀なくされましたがセレモニーの2年後にこの世を去りました。37歳の若さでした。
メジャーのボールはコスタリカ製
現在メジャ−リ−グの試合で使うボ−ルはすべてコスタリカのタリアルバにあるロ−リングス社の工場製です。年間約100万個が使用球で、さらに100万個以上が販売用のオフィシャルボ−ルとして作られています。2枚の8の字型の縫い目は108.すべて手縫いです。
独特のチームニックネーム
通常は「都市名+愛称」ですが、さらに独特のニックネームを持つチームもあります。
アスレチックス=A’s(エイズ) マリナーズ=M’s(エムズ) オリオールズ=O’s(オーズ)
レッドソックス=(ボソックス) ダイヤモンドバックス=(Dバックス) カ−ジナルス=(カーズ)
ヤンキース=(ヤンクス) パイレーツ=(バックス)  インディアンス=(トライブ)
全30球団から勝星
2006年シーズン前に引退したアル・ライターはメジャー史上ただ一人、全30球団から勝ち星を挙げています。04年まで10年連続2ケタ勝利中でもある。社会貢献活動も熱心で、99年に「ブランチ・リッキー賞」、00年には「ロベルト・クレメンテ賞」を受賞しています。キャンプではフリー打撃には絶対に登板しないことでも有名です。
オールスター戦は昔、2試合だった。
1959年から4年間だけ、年2試合行われた。1959年は7月7日、8月3日と約1カ月のブランクを設けていました。1960年は7月11日、13日と中1日の日程が、1961、1962年は7月の上旬と下旬に約3週間の間をおいて開催しています。1960年はメンバー固定、他の年は数人入れ替えての開催でした。
兄弟による完封リレー
1975/8/21、ドジャース戦に先発したカブスのリック・ラッシェルは、6回1/3を零封して兄ポール・ラッシェルにバトンタッチ。ポールも残りの2回2/3を無失点に抑えてカブスが7対0で勝利、メジャー史上初の兄弟による完封を成し遂げたこのラッシェル・ブラザース、弟のリックが19年間で214勝を挙げたのに対し兄ポールは通算16勝止まりと、そのキャリアは対照的でした。
二足のワラジ
NFLとMLB同時プレー
ブライアン・ジョーダン。勝負強い打撃と守備力、チームを引っ張るリーダーであるが、マイナー時代にはNFLの選手との兼業もしていた。
1988年のドラフトでカージナルスから1位指名を受ける一方、NFLのバッファロー・バイソンズからも指名された。
マイナーでプレーする一方、1989年からの3年間はNFLでもプレーしています。
3大スポ−ツからドラフト指名
1995年に引退したデ−ブ.ウィンフィールド(元ヤンキース)はミネソタ大卒業時にMLBとNFLとNBAの3つのプロスポーツの
4チ−ムからドラフトされました。天才アスリートだったようです。
MLBとNFLでオ−スタ−出場。
元ロイヤルズのボー・ジャクソン外野手、ディオン・サンダース外野手は、野球とアメリカンフットボールを兼業した選手として有名で、
特にジャクソンは、その両方でオールスターに選ばれた唯一の選手です。
マリナーズのボールガール
開幕前にテストを実施して選抜されるそうです。時給は7ドル25セントで、試合前には選手に迷惑をかけないようにキャッチボールし、
試合後はクッションボールのノックを受けることもあるそうです。たまにファールボールをダイビングして捕ろうとする姿がテレビに映っています。
親子で2者連続ホームラン
1990年の途中、レッズから40歳のケン・グリフィSr.がマリナーズへ移籍。20歳の息子、Jr.と同じチームに在籍することになった。そして9月14日、エンゼルス戦に揃って出場したグリフィ親子は、親子で2者連続ホームランという、メジャー史上初の快挙を達成しました。
試合前の国歌斉唱
 オールスター戦やワールドシリーズでは有名歌手が担当しますが、マリナーズの場合は希望者から送られてくるテープを球団が選んで決めています。ヤンキー・スタジアムはパイプオルガンの演奏だけ。ブルージェイズの試合ではカナダ国歌も流れます。
フィールドに近いほどチケット代が高い
メジャーの球場はフィールドに近いほどチケット代が高い。近いほうからィールドボックス、ローア−ボックス、アッパーシートと呼ばれレフトポール手前の最前列の方がバックネット裏上段よりよい席と云う事になる。日本の場合はホームベースに近いほどチケット代が高くなっています。
同じ日にノーヒッターが2つ
1990年6月29日 アスレチックスのデイブ・スチュワートがスカイ・ドームでブルージェイズを相手に3四球12奪三振の快投を見せ、ノーヒットノーランを達成。ドジャースのフェルナンド・バレンズエラはカージナルスを相手に奪三振7、与四球3の内容で見事にノーヒットノーランを成し遂げた。
ジャイアンツ(巨人)を命名したレフティ.オドール
読売新聞社がプロ球団を作って初めてアメリカ遠征に出かけたときに「ジャイアンツ」をつけさせたのが、親日家のレフティー.オド−ルでした。オド−ルは昭和初期のメジャ−選抜軍の選手または引率として来日しています。ベーブ.ルースとは仲良しでした。
ドラフトの下位指名でも成功する選手がいます。
メッツのピアザは1988年にドジャースに指名されましたが、62巡目で全体では1389番目。マイアミ・デイド短大時代は無名でしたが、父親が知り合いだった当時のラソーダ監督に頼み込んだというエピソードがあります。最近ではデビルレイズのルーゴ遊撃手43巡目。
9月26日は休みます。
元メッツのショーン.グリーンはユダヤ教徒。9月26日はユダヤ教徒にとって聖なる日となっている贖罪の日(しょくざい)であるため試合は休んでました。ちなみにグリーンはグリーンバ−グという姓だったそうですが、仕事に影響するということで祖父がグリーンに変えたそうです。
バーニーはギターの名手
元ヤンキースのバーニー.ウィリアムスの多才さはメジャーでも有名です。有名なものとしては陸上とギターの腕前です。ギターの腕前は野球の選手になるか、ミュージシャンになるかを悩ませたというほどです。プエル.トルコで陽気に踊っているホアン・ゴンザレスをレンジャーズのスカウトは選び、ヤンキースのスカウトは物静かにギターを弾いているバーニー・ウィリアムスを選んだという逸話が残っています。どちらもメジャー屈指の選手です。また2003年5月にはポール.マッカトニーのレーベルと専属契約し、7月にはアルバムを発売しました。
プロ並みのミュージシャン
*ロイヤルズ(元日本ハム)のヒルマン監督は学生時代にバンドを組、マイナー時代はアルバイトで弾き語りをやっていて玄人はだしだったそうです。
*元エンゼルススピージオはヘビーメタルのロックバンド「Sond Flog」のリードボーカルとしてオフには地元シカゴで活動していました。シーズン中もギターを持ち歩き年2、3曲は作曲するそうです。*元ヤンキースのシエラも故郷プエリトルコで14人組みのバンド「R.Siera」を結成しボーカルとしてラテン曲を中心にアルバムを3枚リリ-スしています。*元ホワイトソックスのジャック.マクダグェルがロックバンドを組んで2枚のアルバムを出しています。
チッパー.ジョーンズはニックネーム
ブレーブスのチッパー.ジョーンズの本名はラリー・ウェイン・ジョーンズ・ジュニア。父親に非常にそっくりだったため、「ア・チッパー・オフ・ザ・オールド・ブロック(親にそっくりな男の子)」という言葉からチッパーの愛称で呼び親しまれるようになったそうです。現在スイッチヒッターとして名をはせるチッパーだがドジャースファンでありながら、ミッキー.マントルを信奉し続けた父は、チッパーが3歳の頃から右と左を交互に打たせていたという。ちなみにチッパー自身はカル・リプケンに憧れていたそうです。
蔦の葉の色で季節が分かります
シカゴ・リグレーフィールドは、1914年に開場したメジャーで2番目に古い球場です。外野フェンス部分は蔦で覆われています。
季節をこれほど感じさせる球場はほかにありません。蔦が若葉なら開幕序盤の初夏だ。濃い緑ならレギュラーシーズン真っ盛りの夏である。紅葉しているなら、カブスがプレーオフに進出したことが分かります。そして、この球場では今でも、手動式のスコアボードが現役で活躍していて、広告は一切ありません。(広告が07年より解禁)
ちなみにシーズンが終わり枯れた葉が落ちれば中から沢山のボールが出てくるそうです。
蔦でボールが見つからない時は手を挙げて。
シカゴ・リグレーフィールド外野フェンス部分は蔦で覆われています。この中にボールが入り見失ったらエンタイトル2塁打です。
ただし野手が両手を挙げて、アピールしなければなりません。そして審判の確認を仰がないといけません。
これをしないとインプレーのままで大変なことになります。実際にランニングホームランになったことがあります。
これはホームチームのカブスの野手だったが、まだカブスに移籍して数日だった為、このルールに気が付かなかったそうです。
カブスのベンチも観客も唖然としていたそうです。
Wヘッダーでたったの2安打
1992年4月12日レッドソックスのマット・ヤング投手はこの日、インディアンスとのダブルヘッダー第1戦に先発し、1本のヒットも許さない“ノーヒッター”を達成しました。しかし試合は1対2でインディアンスに敗れ、メジャー史上3人目の“ノーヒッター=敗戦投手”となっています。92年のヤングは結局勝ち星ゼロ。翌93年も1勝に終わり、この年限りでメジャーのマウンドから姿を消してしまいました。ちなみにインディアンスは第2戦でもレッドソックス先発、ロジャー・クレメンスに2安打に抑えられて完封負け。ダブルヘッダーでの合計安打2本というのは、メジャー記録です。
一人で延長26回を投げぬく
今から83年前(1920年5/1)、ブルックリン・ドジャースがレオン・カドア、ボストン・ブレーブスがジョー・オーシュガーの両先発で始まった試合は、どちらも一歩も引かず息詰まる投手戦の末、日没のため1対1の引き分けに。オーシュガーはメジャー史上最長となる延長26回を1人で投げ抜き、しかも6〜26回までの21イニングを無失点に抑えるという快投を演じました。なお21イニング連続無失点というのは、1試合の記録としてはメジャー最長となっています。
何と8時間6分
1984年の5月8日ホワイトソックス対ブリュワーズ当時ア・リーグ)の試合は、3対3の同点のまま延長17回になっても決着が着かず、
「午前1時を過ぎて新しいイニングに入らない」というア・リーグ規定に基づき中断。翌9日に再開された試合も、21回にブリュワーズが3点を勝ち越すと、その裏にホワイトソックスも3点を奪い返すなど、両者相譲らない拮抗した試合展開になりました。しかし延長25回裏、試合開始から実に8時間6分後、ハロルド・ベインズがソロ本塁打を放ってホワイトソックスが7対6でサヨナラ勝ちし、激闘に終止符を打ちました。試合時間はメジャー最長、また25イニングもリーグ最長記録(メジャー2番目)となっています。
ブリーチャー・クリーチャーズ
ヤンキー・スタジアムで熱狂的に応援をしているのが、ライト側の外野席(bleachers)に陣取る熱心なファン、その名も「ブリーチャー・クリーチャーズ」(外野席の生物)。彼らの特徴は、@メッツが嫌い A相手チームが嫌いB相手チームの右翼手が嫌い C指定席のお客さんが嫌い D何もかも嫌い。とはいえ、ヤンキースだけはこよなく愛しています。自軍の選手にも厳しい野次を浴びせる彼らです。オオ−オの声や鐘の音が聞こえますよ。
500本打ってもHR王は一度も無し
メジャー史上19人目の通算500本塁打を放った元オリオ−ルズのラファエル・パルメイロ。1995年から8年連続で35本塁打以上をマークするなど素晴らしい成績を残しています、昨年までの17年間でいまだホームランキングの座に就いたことがありません。過去に500本塁打を達成した18人は皆、到達以前にこのタイトルを獲得したことがあるため、パルメイロは本塁打王に輝くことなく500号を達成す史上初めてのプレーヤーとなります。
ビリー.ゴートの呪い(ヤギの呪い)
1945年、カブスがワールドシリーズ出場を果たしタイガースを相手に2勝1敗として4戦目を迎えた10月6日のこと、
地元シカゴのバー、ビリー・ゴート・タバーン(Billy Goat Tavern)のオーナーを勤めるビリー・サイニアスはカブスのファン。マーフィーという名の山羊を飼っており、いつも一緒に応援に出かけていた。彼はいつもマーフィーの分のチケットまで買うほどだった。しかし、シリーズ4戦目のこの日、カブス関係者が今まで問題にしていなかったマーフィーの入場を拒否した。理由はマーフィーの臭いだった。これに激怒したビリーは「2度とこのリグレー・フィールドでワールドシリーズをプレーすることはないだろう」と言い放って球場を後にした。
そのせいか、カブスはこの試合から3連敗を喫してワールドチャンピオンを逃すと、それ以降リーグ優勝・ワールドシリーズ出場を果たせないでいる。
ちなみにビリーが経営していたバー「ビリー.ゴート・タバーン」は今でも営業していてシカゴの名所のひとつだそうです。
ドジャースの勝利の歌
アメリカで大人気のテレビ番組「アメリカン・アイドル」で落選したウイリアム・ハンの歌を流すのが勝利後の恒例になっています。
音痴ながら懸命に歌っている「ホテル・カリフォルニア」などのカバ−曲を流していますが、大爆笑がクラブハウス内を覆うそうです。
これで、皆いい雰囲気になるそうですよ。
ペスキーポール
レッドソックス本拠地フェンウェイパークのライトポールは元レッドソックスの名選手ジョニー・ペスキーの名にちなんでこう名づけられています。1シーズンに最高でも3本塁打と長打力のないペスキーでも届く距離(92m)だったからそうです。ペスキーは現在87歳でありながら、毎年レッドソックスのキャンプにはユニホ−ムを着てノックバットを手に新人選手に目を光らせています。
球審不在で試合続行
2007年3月23日のレッズ対デビルレイズのオープン戦でなんと塁審二人で試合を続行する前代未聞の出来事があった。
6回に頭部にファールボールが当たった球審が7回に頭痛を訴え退場。代役に指名された3塁審判が車にプロテクターを取りに行ってる間、塁審2人で試合を続行。2塁審判が投手の後ろからストライク、ボールを判定した。選手も観客も苦笑いするしかなかったそうです。
2007年のメジャ−平均年俸は3億4千万円
今年の大リーグで開幕日にメジャー登録された選手の平均年俸が294万4556ドル(約3億4750万円)に達した。昨年より2・7%アップし、1989年に調査が始まって以来最高額となった。球団別では、ヤンキースが約1億9523万ドル(約230億円)で他球団を大きく引き離してトップ。レッドソックスが約1億4353万ドルで2位、メッツが約1億1792万ドルの3位で、最下位はデビルレイズの約2412万ドル。
高額年俸選手の1位から3位はヤンキースが独占。A・ロドリゲスが約2771万ドル(約33億円)で7年連続の首位。ジアンビが約2343万ドルで続き、ジーターが2160万ドルで3位。ボンズ(ジャイアンツ)は約1553万ドルで11位。
日本選手の最高は、松井秀(ヤンキース)の1300万ドル(約15億3400万円)で全体では29位。イチロー(マリナーズ)は約1253万ドルで38位、松坂(レッドソックス)が約633万ドルで132位となっている。

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